◉ 新刊本屋に行くとよく目にする、緑の岩波文庫『寺田寅彦随筆集』(全五巻)で御馴染みの日本科学エッセイ界の巨匠、寺田寅彦。そのほとんど全ての著作が、国立国会図書館(NDL)の個人送信サービスによって、インターネットで読める時代になりました。本稿では、寅彦の随筆の入門的な案内、門下生たち、寅彦の生涯について、関連文献を引用しながら読み解いていきます。
夏目漱石の高弟にして科学者、寺田寅彦が押し広げた物理学の裾野を門下生たちが駆け抜ける。そんな文理融合の人、寺田寅彦の作品と生涯を追ってみた。
『寺田寅彦全集 文學編』全十六巻と『寺田寅彦全集 科學編』全六巻は令和3年の著作権法一部改正によって、手元の端末(PC、タブレット推奨)で読めます。下記リンクを参照ください。
1.寺田寅彦の随筆を読む
高知城の北西端、井の口川に沿って淡い色合いの石積みの低い瓦塀が続く。その瓦塀の内に静かに佇む邸宅がある。寺田寅彦記念館である。門に埋め込まれた石碑には寅彦の名を不朽とした名言「天災は忘れられたる頃来る」が刻まれている。寅彦は、欧米の先進的な物理学のキャッチアップを潔しとせず、当時の物理科学では扱い切れない複雑怪奇な日常の現象や謎の解明に一生を捧げた。寅彦の人柄を慕って集う多くの理系人材を門下に抱え、彼らに強い印象を残した。当サイト『理系書探訪』でもお馴染み、理論物理学者にして情報理論の先駆者、渡辺慧もその門下である。今回は、NDL個人送信サービスで読める寺田寅彦の世界を探訪する。
1-1 寺田寅彦「自画像」を読んでみる
寺田寅彦の科学エッセイをひとつ、紹介しよう。「自画像」という大正九年九月の作品である。病床にあって、終日、書物に向かうだけの生活に倦み果て、山本鼎『油絵のスケッチ』という本を頼りに、必要品をそろえ、身近な静物、庭の風景を描き進める。少年時代の回想なども挿入されて、引き込まれる文章である。やがて、野外の風景を描きたいと願うようになるが、病体故、それがかなわないと断念したとき、恐る恐る向かったのが自画像だった。向きを変えて2枚の自画像を描き終えたとき、つぎの疑問が湧き上がる。
いったい二つの顔の似ると似ないを決定すべき要素のようなものはなんであろう。この要素を分析し抽出する科学的の方法はないものだろうか。自分は自画像をかきながらいろんな事を考えてみた。同じ大きさに同じ向きの像を何十枚もかいてみる。そしてそれを一枚一枚写真にとって、そのおのおのを重ね合わせて重ね撮り写真をこしらえる。もしおのおのの絵が実物とちがう「違い方」が物理学などでいう誤差の方則に従っていろいろに分配せられているとすれば重ね撮りの結果はちょうど「平均」をとる事になってそれが実物の写真と同じになりはしないか。
さまざまな思索が交錯するなか、さらに、画家のT君の手ほどきを受けて自画像制作にのめり込み、妻、長女、K君が登場、自画像に対する理解を深めていく。やがて、同一人であっても顔は毎日のように変わり、その毎日移り変わる顔の歴史を順々にたぐって行くとどうなるか、という気付きから、赤ん坊時代からの連続的変化を間断なく見守っているわけではない他人を念頭に、
子供の時の顔と今の顔とを切り離して見せてそれが同人だという事を科学的に証明しようとしたらずいぶん困難な事だろう、
という感慨にたどり着く。寺田の疑問探求の過程は、常に “本気” で真剣そのもの、綿密精緻を極める。この「ずいぶん困難な事だろう」は前途に立ち塞がる巨大な壁を暗示する。
「自画像」から100年を経た21世紀の現代、任意特定の人物の同一性を瞬時に識別するシステムが実際に運用されていることを知ったら、寅彦は何と言うだろう。実は、現在のニューラルネットワークを駆使した画像認識の理論的基礎を築いた重要人物の中に、寺田寅彦の直弟子、理論物理学者で情報理論の黎明期に活躍した研究者、渡辺慧がいる(当サイト「書評記事 第1話 渡辺慧『生命と自由』」参照)。その渡辺は、ある論説のなかで、つぎのように述べている。
山を散歩していて、夕方美しい虹を見ました。やがて虹は消えて、半里ほどの山道を下って、家に帰ったら、子供が、「お父さんもあの虹見たの、僕も同じ虹を見てたんだよ」と申しました。何の変哲もない会話でしたが、私の耳には、「同じ虹」という言葉が不思議にコビリつきました。 (渡辺慧「特殊を通じて普遍へ:廿世紀の科学と芸術の性格の一側面に関して」より、『改造文芸(4)』、改造社(1949)に収録)
そして、「彼の虹」と「私の虹」の同一性に思いを馳せる。長考の末、虹は時々刻々と変化し、空間的にも時間的にも「この虹」というものはなく、この場合、個々人の印象を互いに共有しているに過ぎないと結論づける。渡辺はパターン認識の世界的な先駆者で、言葉になる以前の認識の問題を深く研究しており、言語とか論理だけで人工知能の構築を試みる第5世代コンピュータのエキスパートシステムに冷ややかな眼差しを向けていた。寺田寅彦門下生、恐るべしである。
1-2 寺田物理学
数理的な精密科学としての物理学は、当面する物理的状況の分析に際して、単純化と理想化を徹底して行い、そこに潜む本質的な因果関係を抽出する。寺田によれば、その過程は、量的なものではなく、常に質的な考察であって、そして、それこそが物理なのである。たとえば、吉村冬彦名義で出版された随筆集『続 冬彦集』の「向日葵」という作品では、
物理学上の文献の中でも浅薄な理論物理学者の理論的論文程自分にとってつまらないものはない。論理に五分もすきはなく、数学の運算に一点の誤謬はなくても、そこに取扱われて居る「天然(ネチュアー)」はしんこ細工の「天然」である。 (中略) 本当に優れた理論物理学者の論文の中には、真に東洋画特に南画中の神品を連想させるものがある。一見如何に粗略でしかも天然を勝手にゆがめて描いてあるようでも、其処に握まれてあり表現されてあるものは生きた天然の奥底に隠れた生きた魂である。
と述べる。しんこ細工は米粉(新粉)を練って花鳥犬猫人形に造形、着色したお菓子で、祭りの縁日では人気の屋台だったそうである。ただし、実物そっくりであればよいというものでもなく、寺田の理想は北斎漫画なのである。あるいは、本物の「物理学」を日本独自の俳諧に喩えることもある。そして、因果関係が複雑すぎて基礎物理学では手に負えないような物理的状況を拾い出し、それを南画のごとく奔放に、俳諧のごとく奥妙に描き切ることを目指す。
寺田寅彦「物理学圏外の物理的現象」では、粗末な実験器材を使ったレーリー卿の個体・液体表層の界面の研究、レイノルズの摺動面における潤滑油の作用や粉粒体の熱膨張の研究などを紹介したのち、金平糖の角の形成、障子紙のシミの菊の花形に似た輪郭の形成、硝子窓における水蒸気の凝結模様、河流の樹枝状系統、割目の発生と進展(硝子等から地震断層まで)などの考察が、新物理理論の形成を促すことに期待する。寺田物理学の検討対象は広範である。たとえば、門下の藤原咲平による「渦巻き」の研究は、藤原自身の談話を引く形で
古来の大家によって夢想されて来た熱力学第二法則のアンチテーゼのようなものも渦の観察から予想されなくはないのである
と具体的に記す。もっとも、藤原の「渦巻きの研究」は地球大気に生ずる渦(低気圧、高気圧、台風など)や、渦巻き状地形(地渦)などを含んでおり、同時代のイリヤ・プリゴジンらの熱流体力学における「渦列」とはやや趣きが違う。
左図はヨーロッパ・アルプスに見られる地渦、右はインドネシア、セレベス海に見られる地渦の解析例(藤原咲平『地渦・地裂及地震』、古今書院(1932)より引用)。驚くことに、これらの地渦とカルマン渦など、流体力学的な渦を同等に扱おうとした形跡がある。アルフレート・ヴェーゲナー(1880-1930)『大陸と海洋の起源』の初版は1915年であり、本書『地渦・地裂及地震』でも頻繁に引用されていて、大陸移動説の影響下にあったことが窺える。
このような寺田物理学を弟子たちがどのように捕らえたか。多くの論説や随筆が残されている。寺田物理学の分類と特質については、宇田道隆編著『科学者 寺田寅彦』収録の関戸彌太郎「寺田物理学と原子物理」が出色。関戸彌太郎(1912-1986)は中谷宇吉郎の弟子、寺田の孫弟子にあたり、北海道大学の中谷のもとで人工雪の研究に携わったのち、理研の仁科に呼ばれて宇宙線の研究に従事する。両者の学風の違いに驚き、のちに寺田流の物理学を取り入れたいと願い、検討を重ねた結果をまとめた。本書はNDLの個人送信サービスで読めるので詳細は差し控えるが、ここでは、最終節「寺田物理学」の印象的な分析結果を引用しておこう。
寺田は他人の論文をも自分の論文をもステップとはせず、常に原点に帰っては自然を見直しているようである。 (中略) 寺田はおそらく、日常身辺の物理を土台にしてではなく、それを研究するときと同じ態度で各種の研究をしたのであろう。例えば不安定現象・生物・地球・災害など、何れについても身辺にある現象や実験道具に端を発しているものが多い。
そして、物理が日常身辺だから尊いのではなく、当時、物理学は隙間だらけであり、嬰児の瞳のように、愛ずらしくも素直な 寺田物理学の活躍できる曠野が広がっていたのだと結ぶ。
ここで思い出すのは、リチャード・ファインマン(1918-1988)のつぎの話し。
ファインマン家とわが家はアルタデナに家を買った。マーガレットと私が彼の家を訪ねたのはそんなある日の午後だった。ファインマンは新聞紙をくしゃくしゃに丸めてはそれを次々に暖炉にほうりこんで、火をたきはじめた。もちろん誰でもそういうふうにして火をたきつけるのだが、一種のゲームのようにそれを楽しむ彼のやり方と、そのゲームに集中する彼の情熱には、尋常でない何かがあったようだ。しかもその間、犬は階段や家中をかけまわっており、彼は機嫌よくグウェネスに話しかけていた。彼がエネルギー、バイタリティー、遊び心そのものになりきっているとき、それがファインマンの最高の状態のときだったろう。 彼は理論物理学に対しても同様に情熱とユーモアをもって取り組んだ。(マリー・ゲルマン「同じフロアのオフィスにいた男」より、パリティ編集委員会編『さようならファインマンさん』、丸善(1990)に収録)
妻に冗談を飛ばしながらも瞬きもせず暖炉の火をたきつけるファインマン、深い呼吸の中で日常身辺の物理現象を凝視する寅彦、個性の違いは甚だしいが、共に紙一重の世界を感じるのは私だけだろうか。
2 国立国会図書館の個人送信サービスで、寺田寅彦を読む
尋常中学校(入学資格12歳以上、修業年限5年の旧制中学校)在学中の寺田寅彦は、なんと、自然科学を含む専門家向けの総合学術雑誌を定期購読していたのですが、明治二十九年のある日、そこにドイツ・ビュルツブルグ大学のヴィルヘルム・レントゲン(1845-1923)がX線を発見したという記事に遭遇、それ以来、X線の虜になります。17年後の1913年、寅彦はX線結晶解析に関する画期的な論文を英国の科学雑誌 Nature に発表するものの、惜しくもノーベル物理学賞を逃しました。医学部が廃棄したX線発生装置をもらい受け、自ら実験装置を組み立てて、この実験に本格的に携わったのは翌14年までの僅か2年間、研究は弟子で、理化学研究所の設立時メンバーのひとり、西川正治(1884-1852)が引き継ぎました。その後の寺田の研究対象は多岐に渉ります。その科学分野での研究業績の詳細は、岩波版の論文集
- Scientific Papers by Torahiko Terada vol.Ⅰ 〜 Ⅵ (1936-9)
によって知ることができます(NDL個人送信サービス利用可)。vol.Ⅰ 〜 Ⅴ には英文論文211編、vol. Ⅵ には邦文論文58編を収録します。
その一方で、寺田は、夏目漱石の門下生、吉村冬彦名義で、様々な雑誌に随筆を発表、それらは『薮柑子集』、『冬彦集』、『萬華鏡』、『續 冬彦集』、『柿の種』、『物質と言葉』、『蒸発皿』、『触媒』等々として単行本化されました。これらもNDL個人送信サービスで読めます(旧字旧仮名)。時に書き込みがあったり、ページが切り取られていることがありますが、その場合、複数のデジタルデータが別に作られていて、そこから選ぶ事ができるようです。戦前に出版された全集『寺田寅彦全集 文学編』全16巻、岩波書店(1936-8)も旧字旧仮名です。これに対して、戦後出版された學生社版『科学随筆全集』は、新字新仮名で、全巻をNDL個人送信サービスで読む事ができます。寺田寅彦は第1巻の前半です。青空文庫には代表的随筆が揃っています。ここでは、関連文献を含めて、寺田寅彦の随筆集のいくつかを紹介しましょう。
このコーナーでは、国立国会図書館/デジタルコレクションの個人送信サービス(無料)を利用して、手元端末で閲覧可能な書籍を紹介します(PC・タブレット推奨)。記事のバナー【国立国会図書館デジタルコレクション】からログイン画面に入ります。未登録の場合、そこから「個人の登録利用者」の本登録(国内限定)に進むことができます。詳細は当webサイトの記事「国立国会図書館の個人向けデジタル化資料送信サービスについて」をご覧下さい。
2-1 文理融合のエッセイ集、寺田寅彦『冬彦集』
寺田寅彦の高弟、中谷宇吉郎の「寺田寅彦の追想」の冒頭には、著作を通じた寺田との出会いが描かれています。大正中期の学生が熱心に読んだのは雑誌『中央公論』、『改造』、『思想』などで、大半は河上肇「貧乏物語」のような社会運動や哲学の論文。難解な言葉と難渋をきわめた文章、そして熱病的な気配が漲り、「極めて後味の悪いものが多かった」と述べています。そんなころ、『中央公論』の中間記事に現れたのが、吉村冬彦の「丸善と三越」や「自画像」で、中谷は、その中に救いと清冽さを見いだします。まもなく、この吉村冬彦が、物理学者、寺田寅彦の筆名であったことが判明します。大正十二年に出版された『冬彦集』は、中谷宇吉郎だけでなく、多くの理系人材を「寺田寅彦門下」に集めるきっかけとなったようです。
そういえば、昭和二十八年、フィラデルフィアで開催される世界SF大会に、日本人として初めて招待された矢野徹を神戸駅に見送った神戸新聞学芸部の記者は、
当時の私は、科学が文学になるなんて邪道、インチキだと思いこんでいましたので、彼が盛んに翻訳していた “SF” というものはほとんど理解できませんでしたね
と述べています(最相葉月『星新一:一〇〇一話をつくった人』、新潮文庫より)。戦後ですらこんな状況ですから、大正期に吉村冬彦という筆名を使わざるを得なかったという深刻な事情も推察できます。
雑誌『ホトトギス』に掲載された随筆は『薮柑子集』(やぶこうじしゅう)として大正12年(1923年)に出版されましたが、同じ年、様々な雑誌や新聞に発表された随筆の中から、科学と芸術という徹頭徹尾相容れないもの融和させ両立させた著作を集めた『冬彦集』が刊行されます。寺田自身は “病間病余の随筆のようなもの” といっていますが、初期の重要な著作が目白押しです。
▼ 吉村冬彦『冬彦集』、岩波書店(1923)、pp.501
目次/自序
病院の夜明の物音/病室の花/電車と風呂/丸善と三越/自畫像/小さな出來事/鸚鵡のイズム/芝刈/球根/春寒/厄年とetc./淺草紙/春六題/蜂が團子を拵へる話/田園雜感/アインシュタイン/或日の經驗/鼠と猫/寫生紀行/笑/案内者/斷水の日/簔蟲と蜘蛛/夢/マルコポロから/蓄音機/亮の追憶/一つの思考實驗/文學中の科學的要素/漫畫と科學/『冬彦集』後話(小宮豐隆)
吉村冬彦『冬彦集』、岩波書店(1923)
2-2 寅彦のカレイドスコープ、寺田寅彦『万華鏡』
▼ 寺田寅彦『万華鏡』、鉄塔書院(1929、昭和4年)、pp.225
おもちゃの万華鏡(カレイドスコープ)をぐるぐる廻しながら覗く。色々の美しい形象が現れる。寺田は、本書の序文で、自身の随筆を、ひとりの老学生の覚束ない思索の日記断片としながらも、それらをカレイドスコープの中のガラスの破片に喩えます。そして、読者の脳裏に存在する微妙な反射鏡の作用によって、そこに何らかの対称的かつ系統的、そして立派な映像が出現することを期待すると述べます。このようなワクワクする序文で始まる本書、その成り立ちを、同じく序文にて、つぎのように書いています。
十余年来色々の雑誌に出して来たものの中で、科学の学生或は科学に興味をもつ一般読者に読んで貰ってもいいと思うものを集めて此の一巻とする。古い方のものは自分でも存在を忘れてしまって居たのを小林君が丹念に拾い集めてくれたのである。(寺田寅彦『万華鏡』、自序より)
「小林君」は、鉄塔書院の経営者、小林勇。この「貧乏な始めたばかりの本屋」と寺田とのやりとりは、
- 太田文平『寺田寅彦の生涯』、四季社(1955)(本稿《3-1》参照)
の最終章「寺田寅彦の装幀観」に詳しく、『万華鏡』成立の一端を伺い知ることができます。なお、昭和10年(1935)、小林は古巣の岩波書店に戻り、『万華鏡』も岩波書店刊として再出版されます。
さて、本書の目次を示しておきましょう。本書には奥深い話題も多く,私、探訪堂も、寺田の高弟が残した言葉を頼りに、機会のある毎に、各随筆の読み方を試行錯誤しています。全てを疑う哲学者とは異なり,寺田物理学は、物理学の対象は客観的事実であるという根本的仮定から出発します。その一方で、自然法則は人を離れて存在している訳ではないという見解などもあり、これらを如何に取り扱うか等々、課題山積です。さて、寺田の残したガラスの破片、ぐるぐる廻って、あなたの中ではどのような映像を結ぶでしょうか。
目次
自然現象の豫報/科學者と藝術家/方則に就て/時の觀念と「エントロピー」並に「プロバビリティ」/物理學と感覺/物理學實驗の敎授に就て/科學上の骨董趣味と溫故知新/言語と道具/相對性原理側面觀/電車の混雜に就て/怪異考/化物の進化/比較言語學に於ける統計的硏究法の可能性に就て
寺田寅彦『万華鏡』、鉄塔書院(1929)、pp.225
旧字旧仮名が苦手な方には、新字新仮名、漢字で書かれた接続詞などをひらがなに改めた現代表記の新版があります。
2-3 冬彦、再び、寺田寅彦『続 冬彦集』
『冬彦集』(1923)から『続 冬彦集』(1932)までの10年間といえば、寅彦40代半ばから50代半ばまでの円熟期で、上記の太田文平『寺田寅彦の生涯』によれば、“寺田物理学の真価を決定した時代”。 研究三昧の日々を送り、理化学研究所、航空研究所、地震研究所、数学物理学会、帝国学士院に関わり、余暇には、映画鑑賞と映画論、ビリヤードや種々の楽器演奏への挑戦など、公私共に多忙多彩な時代であったといいます。最後の年となる1935年、寅彦は八月を軽井沢で過ごし、小浅間登山をし、自転車の曲乗りまで試して、元気一杯。 ところが、帰宅後、神経痛のような症状が次第に悪化、九月半ば以降、床に着くようになり、転移性の骨腫瘍により大晦日に死去します。
この『続 冬彦集』以後、『柿の種』、『蒸発皿』、『物質と言葉』、『触媒』、『蛍光板』、『橡の実』と矢継ぎ早に随筆集を出版していました。
▼ 吉村冬彦『続 冬彦集』、岩波書店(1932)、pp.434
“静寂な隠遁生活の産物” であった『冬彦集』に対して,多忙を極めた研究所生活の合間に書かれたものを集めた『続 冬彦集』、行間には両者の違いが滲み出ますが、動静、剛柔、共に捨てがたい魅力を放ちます。その序文はつぎのように始まります。その間に関東大震災があったのですね。
大正十二年以後約十年間に色々の雑誌や新聞の為に書いた随筆を集めて「続冬彦集」とすることにした。大正八年の暮れに病気になって、それから二年ばかり静養した。其病間病余の閑にまかせて書いたものを大正十一年の末に纏めたものが前集「冬彦集」の内容である。大正十二年には漸く健康を恢復して、そろそろ自分の専門の仕事に手を付け始めたところへ、あの関東大震災が襲って来て、そうして折柄目覚めかかった自分の活力に新しい刺激を与えたのである。(吉村冬彦『続 冬彦集』、自序より)
目次
自序/異鄕/斷片/秋の歌/雜記/子猫/浮世繪の曲線/石油ラムプ/解かれた象/神田を散步して/鑢屑/流言蜚語/路傍の草/池/備忘錄/羽越紀行/さまよへるユダヤ人の手記より/夏/年賀狀/二つの正月/LIBER STUDIORUM/時事雜感/野球時代/映畫時代/映畫雜感/靑衣童女像/カメラを提げて/讀書の今昔/『手首』の問題/蓑田先生/千人針/鄕土的味覺/寫眞八葉
吉村冬彦『続 冬彦集』、岩波書店(1932)
2-4 寺田寅彦『物質と言葉』 最晩年の怒濤の随筆集出版の嵐
▼ 寺田寅彦『物質と言葉』、鉄塔書院(1933)、pp.377
最晩年の怒濤のような随筆集出版の嵐の中から、『物質と言葉』を選んでみました。『万華鏡』の続編としてのガラスの破片の数々。あなた自身の長い物語のそれぞれの頁で、それらはどのような光景を見せるでしょうか。
目次
物質と人間/ルクレチウスと科學/數學と語學/日常身邊の物理的諸問題/量的と質的と統計的と/物理學圈外の物理的現象/物質群として見た動物群/自然界の縞模樣/鐘に釁る/感覺と科學/北氷洋の氷の破れる音/ロプ・ノール其他/學問の自由/科學者とあたま/家庭の人へ(風呂の寒暖計、こはいものの征服)/レーリー卿(Lord Rayleigh)/工學博士末廣恭二君/言葉と人間/日本樂器の名稱/土佐の地名/火山の名に就て/歌の口調/短歌の詩形/言葉の不思議/書籍紹介/藤原博士の「雲」/地震と光り物/岡田博士の「測候瑣談」//附錄 Image of physical World in Cinematography(映画撮影における物理的な世界のイメージ)
寺田寅彦『物質と言葉』、鉄塔書院(1933)
2-5 岩波版『寺田寅彦全集 文學編』(戦前)
寺田寅彦の全集は、岩波書店が戦前に出版した『寺田寅彦全集 文學編』全16巻、『寺田寅彦全集 科學編』全6巻をNDL個人送信サービスで閲覧できます。この全集、その後も改訂、再版が繰り返されていて、新しいものでは『寺田寅彦全集』全30巻(1996-9、岩波書店)というものがあるようです。この文學編(全16巻)の詳細は、当サイトのつぎの記事をご覧下さい。
2-6 岩波版『寺田寅彦全集 科學編』(戦前)
戦前の出版ですが、岩波版『寺田寅彦全集 科學編』全6巻がNDL個人送信サービスで読めます。全6巻で、第1巻から第5巻までが欧文論文、第6巻が邦文論文です。この科學編(全6巻)の詳細は、当サイトのつぎの記事をご覧ください。
2-7 『科学随筆全集 第1巻 物理学者の心』
學生社判の『科学随筆全集』全15巻(1961-6)が、国立国会図書館(NDL)デジタルコレクションの個人送信サービスで閲覧できます。収録分野は物理、数学、化学、動物学、植物学、医学、生物学、工学に及びます。
記念すべき第1巻は、大御所二人、物理学者にして随筆家の寺田寅彦と中谷宇吉郎です。この『科学随筆全集 1 物理学者の心』の「寺田寅彦」に収録されているのは31編です。どれも選りすぐりの逸品ですが、初心者向けには「茶碗の湯」、「金平糖」、「藤の実」などがお勧めです。この第1巻の目次を紹介しましょう。
▼ 『科学随筆全集 1 物理学者の心』、學生社(1961)
寺田寅彦
花物語/昼顏/月見草/栗の花/凌霄花/芭蕉の花/野薔薇/常山の花/竜胆花/病院の夜明けの物音/芝刈/蜂が団子をこしらえる話/蓄音機/茶碗の湯/相対性原理側面観/備忘録/夏/涼味/向日葵/線香花火/金米糖/化物の進化/北氷洋の氷の破れる音/藤の実/津波と人間/科学者とあたま/鳶と油揚/地図を眺めて/天災と国防/災難雑考/小浅間
中谷宇吉郎
九谷焼/御殿の生活/真夏の日本海/北海道の夏/荒野の冬/雪を作る話/雪雑記/雑魚図譜/墨色/語呂の論理/雷獣/ツンドラへの旅/永久凍土地帯/黒河への旅/陸の大洋/草原の王者/天地創造の話/千里眼その他/立春の卵/簪を挿した蛇
著者略年譜
『科学随筆全集 1 物理学者の心』、學生社(1961)、pp.344
3 国立国会図書館の個人送信サービスで、寺田寺彦の生涯を調べる
このコーナーでは、国立国会図書館(NDL)デジタルコレクションの個人送信サービス(無料)を利用して、手元端末で閲覧可能な書籍を紹介します。下の各記事のバナー「国立国会図書館デジタルコレクション」からログイン画面に入ります。未登録の場合、そこから「個人の登録利用者」の本登録(国内限定)に進むことができます。詳細は当webサイトの記事「国立国会図書館の個人向けデジタル化資料送信サービスについて」をご覧下さい。
3-1 太田文平『寺田寅彦の作品と生涯』
▶ 太田文平『寺田寅彦の作品と生涯』、七曜社(1963)、pp.303
太田文平(1938-1999)は経営学者として大学で教鞭をとるかたわら、経営学の著書を著しました。また、寺田寅彦や中谷宇吉郎の研究者として知られています。本書は、1955年の太田文平『寺田寅彦の生涯』に続いて出されたもので、第一部で寺田寅彦の作品、第二部で寺田寅彦の生涯を扱っています。含蓄のある文章で、寺田寅彦の評伝としても第一級の資料であるとともに、読むほどに勇気の湧いて来る本です。
はじめに
第一部
寺田寅彦序說
まえがき/寅彦の文学への出発点/寅彦に対する激石の影響/寅彦の「随筆」文学の選択理由/寅彦の作品の各時代別傾向(「数柑子集」の時代/「冬彦集」の時代/「続冬彦集」の時代/晩年の作品の時代)
夏目漱石と寺田寅彦
正岡子規と寺田寅彦
寺田寅彦の随筆と統計
寺田寅彦の教育観
寺田寅彦の映画観(よき時代のよき映画評論)
寺田寅彦の短歌観
寺田寅彦の装幀観
第二部
寺田宜彦の生涯(自作品に現われた)
序章/幼年時代/中学校時代/高等学校時代/大学時代/大学院時代/洋行時代/大学助教授時代/大学教授時代/研究所員時代前期/研究所員時代中期/研究所員時代後期
太田文平『寺田寅彦の作品と生涯』、七曜社(1963)
3-2 宇田道隆編編『科学者 寺田寅彦』
▶ 宇田道隆編『科学者 寺田寅彦』、NHKブックス(1975)、pp.287
編著者の宇田道隆(1905-1985)は海洋物理学者で、寺田寅彦の高弟のひとりです。寺田や藤原咲平に指導を受けた生粋の物理学者で、当時、まだ未開拓であった海洋物理学に向かって行きました。宇田道隆についての詳しい解説があります。当サイトの書評記事「第1話 渡辺慧『生命と自由』」の「5-6 宇田『海に生きて』」を参照ください。さて、本書ですが、科学者17名、錚々たるメンバーによる寺田寅彦の人とその足跡を偲ぶ論説が集められています。目から鱗の話しも多く、寅彦ファン必見の一冊です。
宇田道隆編『科学者 寺田寅彦』、NHKブックス(1975)
3-3 山田一郎『寺田寅彦覚書』
▶ 山田一郎『寺田寅彦覚書』、岩波書店(1981)、pp.456
著者、山田一郎(編集者;1919-2010)は、寺田寅彦研究の第一人者。略歴には、
高知新聞社客員。日本エッセイストクラブ会員。大正八年、高知県生まれ。共同通信社社会部次長、文化部長、科学部長、編集局次長。大阪支部長を経て同社常務理事、システム計画本部長などを務めた。『寺田寅彦覚書』(岩波書店)で五十六年度芸術選奨文部大臣新人賞、
とあります。また、土佐山内家宝物資料館館長を平成9年度から16年度まで務めた人です。1920年生まれの安岡章太郎(高知県立文学館名誉館長)と市民向けの講演会を共にしたり、対談を行ったりといろいろと交流があったようで、本書『寺田寅彦覚書』が芸術選奨新人賞をとったとき、「安岡章太郎といっしょに『還暦新人』と笑った」と書いています。なお、宇賀家、寺田家、別役家、安岡家が縁戚関係にあることは、本書 p.33 に系図を示して論じています。
山田一郎『寺田寅彦覚書』、p.33 より引用
安岡章太郎といえば、父方の祖先、土佐安岡一族を追った『流離譚』や、母方の祖先、入交千別、丸岡莞爾らを描いた叙情あふれる作品『鏡川』があります。『鏡川』にも「登場人物系図」として、つぎの系図が掲げられています。
安岡章太郎『鏡川』、新潮文庫(2000)、p.4より引用
山田一郎『寺田寅彦覚書』は「薮柑子の時代」までを扱っており、続編『寺田寅彦 妻たちの歳月』では、寅彦の母「亀」、最初の妻「夏子」、次の妻「寛子」、三度目の妻「紳」の人生から寅彦自身に迫っています。共に、高知新聞に連載されて、のちに単行本化されました。森鷗外の史伝『渋江抽斎』などや、それを継承する永井荷風の『下谷叢話』、安岡章太郎の『流離譚』などを彷彿とさせる書き方で、あの寺田寅彦が、鷗外の流れをくむ「史伝」の主人公になっていることに、随分、驚いたものです。
第一部 歴史の章
1 過去帳」初めに/2 ベルリンの宿/3 永福寺門前/4 『それから』考/5 宇賀家の系譜/6 室戸岬への旅/7 大野見鄉
第二部 風土の章
1 世取り誕生/2 銀座と馬車/3 寂しい子/4 人生の教師たち/5 青春/6 結婚/7 父の肖像
第三部 人生の章
1 俳句と提琴(バイオリン)/2 波の上/3 「団栗(どんぐり)」抄/4 海鳴り/5 Last interview/6 水底の歌/7 「藪柑子」の時代/8 再び過去帳 —— 終りに
主要参考文献/写真および図版一覧/「覚書」後語
山田一郎『寺田寅彦覚書』、岩波書店(1981)
4.書斎の本棚/図書館の書棚から
このコーナーでは、本文に登場した本、関連書籍をさらに紹介します。
4-1 小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集 第一巻』
■ 小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集 第一巻』、岩波文庫(1963)、pp.306
冒頭を飾る一編は早逝した妻・夏子との淡い思い出を語る「どんぐり」。欧州留学の日記「旅日記から」や留学先から夏目漱石に宛てた「先生への通信」は貴重な記録です。「物理学と感覚」では、人の経験と感覚を離れて物理学は成立しないこと、幾何学など、数学全般との際立った違いなどを分かり易い言葉で語ります。
どんぐり/竜舌蘭/花物語/旅日記から/先生への通信/科学者と芸術家/物理学と感覚/病院の夜明けの物音/病室の花/丸善と三越/自画像/芝刈り/球根/春寒/春六題/簑虫と蜘蛛/田園雑感/ねずみと猫/写生紀行/笑い/案内者/断水の日
注/後語(小宮豊隆)
4-2 小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集 第2巻』
■ 小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集 第二巻』、岩波文庫(1964)、pp.316
どうすれば満員電車を避けて快適に乗車できるか、寺田は実際に乗車率の波動の実測を試みます。学問としてのオペレーションズリサーチが成立する10数年前のトラフィック解析「電車の混雑について」、身のまわりからいなくなった化け物たちを追う「化け物の進化」、ローマの哲学者、ルクレチウスに思いを馳せる「ルクレチウスと科学」ほか、寺田の科学エッセイ炸裂の一冊です。
蓄音機/亮の追憶/一つの思考実験/電車の混雑について/相対性原理側面観/子猫/浮世絵の曲線/二十四年前/解かれた象/伊吹山の句について/池/路傍の草/備忘録/怪異考/日本楽器の名称/比較言語学における統計的研究法の可能性について/化け物の進化/ルクレチウスと科学/LIBER STUDIORUM/映画時代/時事雑感
注
4-3 小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集 第三巻』
■ 小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集 第三巻』、岩波文庫(1963)、pp.332
この巻には、有名な「日常身辺の物理的諸問題」、「量的と質的と統計的と」、「物理学圏外の物理的現象」が入っています。個人的には「俳諧の本質的概論」でしょうか。
仏人メートル氏が俳句について述べていた中に「俳諧は読者を共同作者とする」という言葉があったと思う。実際読者の中に句の提供する暗示に反応し共鳴すべきものがなかったら、俳句というものは成立しない。(同書 p.260)
など、さまざまな観点から俳句、連句を分析します。
火山の名について/日常身辺の物理的諸問題/青衣童女像/量的と質的と統計的と/カメラをさげて/連句雑俎/ラジオ・モンタージュ/青磁のモンタージュ/読書の今昔/物理学圏外の物理的現象/映画の世界像/「手首」の問題/映画雑感(I)/生ける人形/映画芸術/からすうりの花と蛾/音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」/俳諧の本質的概論/ロプ・ノールその他/夏目漱石先生の追憶/田丸先生の追憶
注
4-4 小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集 第四巻』
■ 小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集 第四巻』、岩波文庫(1963)、pp.307
よく引用される「藤の実」、こんなに短い作品なのですね。論争を巻き起こした「とんびと油揚」も入っています。事実をありのままに書くことは、ジャーナリズムの鉄則に違反するのではという体験的発見から、ジャーナリズムの一相としての “事実の類型化” に関する観察を重ねる「ジャーナリズム雑感」、昭和九年三月の函館大火の科学的顛末として後世の科学者に残された「函館の大火」など、目が離せません。
鐘に募る/北氷洋の氷の割れる音/鎖骨/火事教育/ニュース映画と新聞記事/自然界の縞模様/藤の実/銀座アルプス/コーヒー哲学序説/空想日録/映画雑感(II)/映画「マルガ」に現われた動物の闘争/物質群として見た動物群/蒸発皿/記録狂時代/感覚と科学/涼味数題/錯覚数題/神話と地球物理学/試験管/科学と文学/科学者とあたま/沓掛より/さるかに合戦と桃太郎/人魂の一つの場合/思い出草/踊る線条/ジャーナリズム雑感/函館の大火について/庭の追憶/藤棚の陰から/とんびと油揚
注
4-5 小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集 第五巻』
■ 小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集 第五巻』、岩波文庫(1963)、pp.310
「天災と国防」では、一国を有機体に喩えて、災害によって引き起こされる麻痺症状に警告を発し、
万一にも大都市の水道貯水池の堤防でも決壊すれば市民がたちまち日々の飲用水に困るばかりでなく、氾濫する大量の流水の勢力は少なくとも数村を微塵になぎ倒し、多数の犠牲者を出すであろう。 (中略) 安政年間には電信も鉄道も電力網も水道もなかったから幸いであったが、次に起こる「安政地震」には事情が全然ちがうということを忘れてはならない (同書p.64)
と述べたうえで、「陸軍海軍のほかにもう一つ科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然」と訴えます。“科学” によって “大和魂” に進化させよ、とのこと。そうえいば、私、探訪堂は、その昔、お世話になった教授から、「明治期の実業家たちは、欧米からの機械の購入に際して、『ワシャァ、なんでも高ぇもんがエエ』といっていたが、これぞ、大和魂だ」、と教えて頂きました。確かに、欧米列強の植民地化に対する恐怖など、未曾有の国難の降りかかっていたこの時期にも、寺田のいう「大和魂」が出現していたのでしょう。
地図をながめて/映画雑感(III)/疑問と空想/破片/天災と国防/俳句の型式とその進化/あひると猿/詩と官能/物売りの声/自由画稿/映画雑感(IV)/B教授の死/災難雑稿/糸車/映画と生理/小浅間/日本人の自然観/小爆発二件/三斜晶系/俳句の精神
注
4-6 中谷宇吉郎『寺田寅彦 —— わが師の追想』
■ 中谷宇吉郎『寺田寅彦 —— わが師の追想』、講談社学術文庫(2014)、pp.336
寺田寅彦の高弟であり、多くの科学エッセイを世に送りだした「雪の結晶」で有名な物理学者です。中谷の人工雪の研究から北海道帝国大学に低温科学研究所が設立、その主任研究員として活躍しました。寺田寅彦を知り尽くした高弟による師匠の評伝、二人の人柄が滲み出る名作です。