No.2 「寺田寅彦全集 科學編」全6巻をNDL個人送信サービスで読む ❖ 理系書探訪【全集探訪】

文理融合の人、寺田寅彦。その科学者としての実像に迫るための第一級資料、『寺田寅彦全集 科學編』全6巻がインターネットで読める時代になりました。本稿では各巻をそれぞれ紹介します。第1巻から第5巻は欧文論文211編、最終巻には邦文論文58編がまとめられています。なお、ドイツ語論文はタイトルのみで本文は未収録です。

この文章は、インターネットで読むことができる『寺田寅彦全集 科學編』全六巻の紹介記事です。寺田寅彦本人および『文學編』については、当サイトに関連記事があります。

≫当サイトの関連記事『全集』探訪 No.1「寺田寅彦全集 文學編」へ 
≫当サイトの関連記事NDL理系書通信 第3報「寺田寅彦」へ

1.はじめに

寺田寅彦(1878-1935)は夏目漱石の門下生で日本の物理学の黎明期に活躍した科学者。没後90年を迎えようとしていますが、寅彦の科学随筆は、万人の愛読書として世代を超えて読み継がれています。

この『寺田寅彦全集 科學編』では、理系から見た寺田寅彦、すなわち、寺田の物理学者、科学者としての真の姿に迫ることができます。寺田の名前を一挙に高めたのは、帝国学士院の恩賜賞受賞に輝くX線結晶解析の研究ですが、その後、主流から外れた物理学、いわゆる、主流派がいうところの「寺田物理学」に邁進します。線香花火、火花、キリンの斑模様、金属やガラスや地殻の破断面(割れ目)、金平糖の形状生成過程、墨流し等々、自己組織化、パターン形成、散逸構造論、生命物理に関連するテーマが目白押しです。弟子たちは、その独特の思考法と思いつきの新規さゆえに、寺田物理学を誇ります。私自身は、寺田本人より、むしろ寺田の生命観を継承した弟子、藤原咲平、平田森三、渡辺慧などに関心をもつ者ですが、寺田物理学の個々のテーマを深く追いかけている多くの人々がいます。例えば、金平糖は、あの「戸田格子」やソリトン研究で世界的に有名な戸田盛和(1917-2010)、別名 “おもちゃ博士” の餌食となってしまいました。しかし、ご安心を。まだまだ、美味しいテーマが『寺田寅彦全集 科學編』の中で、あなたを待っています。

2.『寺田寅彦全集 科學編』全6巻を眺める

このコーナーでは、国立国会図書館/デジタルコレクションの個人送信サービス(無料)を利用して、手元端末で閲覧可能な書籍を紹介します(PC・タブレット推奨)。記事のバナー【国立国会図書館デジタルコレクション】からログイン画面に入ります。未登録の場合、そこから「個人の登録利用者」の本登録(国内限定)に進むことができます。詳細は当webサイトの記事「国立国会図書館の個人向けデジタル化資料送信サービスについて」をご覧下さい。

2-1 『寺田寅彦全集 科學編 第一巻』

『Scientific Papers by Torahiko Terada VOL.1 1904-1909』、Iwanami Syoten(1939)、pp.372

この第一巻では、寺田寅彦全集刊行会による序文に続いて、19ページほどの簡単な英文の伝記があり、その後、寺田の論文が発表年順に収められています。

冒頭を飾る論文は1904年の「ジェット管によって生成される水銀のさざ波について」:

  • On the Capillary Ripple on Mercury Produced by a Jet Tube

capillary ripple(リップル)はさざ波(表面張力波あるいは表面張力重力波)。一般に、液体/気体間の界面に発生する波を考えて、その復元力として、表面張力が支配的である場合には表面張力波、重力も考慮する場合には表面張力重力波と言います。水銀の表面張力は常温で水の6.6倍、表面張力波の周波数は表面張力の平方根に比例しますから、水銀表面にジェット管で空気を吹きつけると、容器のヘリでの反射波との干渉も引き起こされて、何とも言えない美しい波紋が発生します。寅彦は、その美しさに魅せられ、うっとりするだけでは飽き足らず、それを「科学的に解明」したいと願ったわけです。25歳の学会デビュー。ところが、世界に認められる主流の論文を大量生産して研究業績を積み上げようという野心など、この論文には全く見られません。論文では、太口ノズルで一吹きすれば表面張力波、細口ノズルならば表面張力重力波であるとしたうえで、「この問題の完全な数学的な解明は我々の分析の範囲外」であるとしながらも、北斎漫画が線描で猫の跳躍の妙を完璧に捕らえるのに似て、簡単な数理解析からその本質に迫ります。これを称して、「寺田は物理現象の定性的な説明に終始するだけの実験物理屋だ」などという研究者もいますが、この問題、あのリチャード・ファインマンですら、自身の有名な教科書の中で「最悪の例」とか、「なかなか面白いがまた複雑」などと言っています。そのくせ、寺田と同様、学生、そっちのけで、その模様の複雑さを自分だけで楽しんでいるので、読者もついつい引き込まれてしまいます(『ファインマン物理学 Ⅱ 光 熱 波動』の26-4 表面波)。21世紀の現代ならば、計算物理学の格好の題材ですね。

この第一巻では、学位論文「尺八の音響学的研究」に関連した論文が目を引きますね。海洋潮汐、熱海の間欠泉、強磁性体、ドラムの振動、伊豆大島の火山など、地球物理学関連の論文が大半を占めます。寺田寅彦の存命中においても、「寺田の物理は古くさい」と陰口をたたく研究者が多かったと伝えられていますが、複雑すぎて数理的な解析では手も足も出ないような現象を、研究上、何の積み上げもない「原点」から見つめ、その本質を俳諧のごとく把握するのが寺田物理学。研究の積み上げも新陳代謝もありませんから、古びようがありません。常に「はじめの一歩」なのです。そして、100年以上を経過してもなお、未解決な問題が多いのも当然かと思います。

『寺田寅彦全集 科學編 第一巻』目次
インターネットで読める

『寺田寅彦全集 科學編 第一巻』:
『Scientific Papers by Torahiko Terada VOL.1 1904-1909』、Iwanami Syoten(1939)

2-2 『寺田寅彦全集 科學編 第二巻』

『Scientific Papers by Torahiko Terada VOL.2 1910-1925』、Iwanami Syoten(1938)、pp.370

この第二巻には、X線結晶解析関連の論文が収められています。大半が、地磁気、降雨と降水量、日本沿岸での風や突風、地震、太陽黒点など、地球物理、天文、気象関連の論文です。光泳動などもありますね。

『寺田寅彦全集 科學編 第二巻』目次
インターネットで読める

『寺田寅彦全集 科學編 第二巻』:
『Scientific Papers by Torahiko Terada VOL.2 1910-1925』、Iwanami Syoten(1938)

2-3 『寺田寅彦全集 科學編 第三巻』

『Scientific Papers by Torahiko Terada VOL. 3 1926-1928』、Iwanami Syoten(1937)、pp.519

この第三巻には、1923年9月1日の関東大震災の研究成果が収録されています。雷の放電現象、火花、電熱現象、地震によって生じた地殻変動、地震波、回転円筒間の流れの安定性や海洋物理、気象学関係の論文があります。

『寺田寅彦全集 科學編 第三巻』目次
インターネットで読める

『寺田寅彦全集 科學編 第三巻』:
『Scientific Papers by Torahiko Terada VOL. 3 1926-1928』、Iwanami Syoten(1937)

2-4 『寺田寅彦全集 科學編 第四巻』

『Scientific Papers by Torahiko Terada VOL. 4 1929-1931』、Iwanami Syoten(1936)、pp.363

この第四巻では、多数の写真が添付された正負電極間の火花の研究が目を引きます。砂塊や地殻の変形、関東の地殻変動、火山、対流セル、地震で倒壊した家屋の分布や東京の大火災の物理的検討など。地震に伴う発光現象なども研究しています。

『寺田寅彦全集 科學編 第四巻』目次
インターネットで読める

『寺田寅彦全集 科學編 第四巻』:
『Scientific Papers by Torahiko Terada VOL. 4 1929-1931』、Iwanami Syoten(1936)

2-5 『寺田寅彦全集 科學編 第五巻』

『Scientific Papers by Torahiko Terada VOL. 5 1932-1936』、Iwanami Syoten(1938)、pp.319+27

この第五巻には、日本における石油の起源、群発地震、地震と漁業、土佐湾の地形、津波等など、地球物理学関連が収録されています。有名な「生命と割れ目」や家畜の体色模様の物理的検討、随筆「藤の実」、墨流しに関連した論文があります。また、巻末には、第一巻から第五巻までの総合索引があります。

『寺田寅彦全集 科學編 第五巻』目次
インターネットで読める

『寺田寅彦全集 科學編 第五巻』:
『Scientific Papers by Torahiko Terada VOL. 5 1932-1936』、Iwanami Syoten(1938)

2-6 『寺田寅彦全集 科學編 第六巻』

『Scientific Papers by Torahiko Terada VOL.6 1905-1935』、Iwanami Syoten(1938)、pp.327

最終巻では、明治38年から昭和10年に学術雑誌に発表された邦文論文を収録しています。英文論文と同等のタイトルの論文が多数あります。関東大震災における大火を調べた論文には、多数の写真が添付されています。「53 割れ目と生命」は細胞核やそれに伴う細胞分裂を扱ったものですね。なお、巻末には索引がついています。

『寺田寅彦全集 科學編 第六巻』目次
インターネットで読める

『寺田寅彦全集 科學編 第六巻』:
『Scientific Papers by Torahiko Terada VOL.6 1905-1935』、Iwanami Syoten(1938)

3.国立国会図書館/個人送信サービスから

このコーナーでは、国立国会図書館/デジタルコレクションの個人送信サービス(無料)を利用して、手元端末で閲覧可能な書籍を紹介します(PC・タブレット推奨)。記事のバナー【国立国会図書館デジタルコレクション】からログイン画面に入ります。未登録の場合、そこから「個人の登録利用者」の本登録(国内限定)に進むことができます。詳細は当webサイトの記事「国立国会図書館の個人向けデジタル化資料送信サービスについて」をご覧下さい。

3-1 小林惟司『寺田寅彦の生涯』、東京図書(1977)

小林惟司『寺田寅彦の生涯』、東京図書(1977)、pp.322

理系の話しも含めた系統的な評伝ならば、ここで紹介する小林惟司(1930-)『寺田寅彦の生涯』だろうと思います。小林惟司(ただし)は、日本における生命保険研究のパイオニアとのことで、関連する専門書を多数出版していますが、寺田寅彦、二宮尊徳、犬養毅などの評伝などもあります。小林惟司『寺田寅彦の生涯』の初版の帯には

と書かれています。2段組みで、多くの写真があり、まさに「本格的評伝」です。ただ、寺田家に関する記述の中には、「多量の偽りの情報がある」として、寅彦の長男、寺田東一氏が東京新聞紙上で具体例を挙げて抗議していますから、「あまり語られなかった人間的側面」のなかでも、家庭内の話しは鵜呑みにできないようです。小林の『寺田寅彦の生涯』の寺田家を巡る記述に疑問をもつ研究者や編集者のひとりが「還暦」前後だった山田一郎(1919-2010)です。『寺田寅彦覚書』(1981)とその続編『寺田寅彦 妻たちの歳月』(2006)が代表作で、『寺田寅彦覚書』は国立国会図書館/個人送信サービスで閲覧できます。

≫当サイトの関連記事NDL理系書通信 第3報「寺田寅彦」の関連箇所へ

ところで、本書『寺田寅彦の生涯』には「理化学研究所および寺田物理学」という章があり、その「弟子の養成」という節に、寅彦の弟子の “系譜山脈” がまとめられています。これは、寺田物理学の内容を、地震学、気象学、農業物理学、水産物理学・海洋学、火災物理学、熱力学、膠質物理学、統計物理学、その他に大きく分類したのち、それぞれの分野をさらにいくつかのテーマに分けて、それを担った弟子を列挙しています。これについて、小林は、

当時の日本の大学教授のなかには、自分自身はほとんど実験をしないで、ぜんぶ弟子たちにおこなわせ、できあがった成果だけを自分の名前で発表するという例がめずらしくなかった。 (中略) それにくらべたら寅彦は、はるかに民主的であった。弟子たちが自分でおこなった実験の努力をたかく評価して、研究者としての弟子をどんどん前面に押し出してくれたのである。

と述べています。さらに、驚くべき話しが続くのですが、これ以上の深入りは避けておきましょう。ぜひ、本書を吟味してください。

小林惟司『寺田寅彦の生涯』目次

付録 寺田家系図/あとがき/索引

インターネットで読める

小林惟司『寺田寅彦の生涯』、東京図書(1977)、pp.322

3-2 大森一彦『寺田寅彦研究文献目録 : 明治37年(1904)-昭和42年(1967)』

寺田寅彦自身の著作ではなく、寺田寅彦を扱った文献の目録がいくつか存在します。ここで、紹介するのは、大森一彦(1937-)という方の労作です。それによれば、「寅彦が処女論文を発表した明治37年から昭和42年3月までに発表ならびに刊行された寅彦を主題とする文献、あるいは寅彦と極めて密接な関連のある文献を調査して再録した」もの、とのことです。単行本17冊、単行本所収169編、雑誌特集5、雑誌・新聞所載294編、月報その他72が集められています。圧巻です。

大森一彦『寺田寅彦研究文献目録 : 明治37年(1904)-昭和42年(1967)』、東北工業大学紀要第3巻(昭和42年7月)別刷り

インターネットで読める

大森一彦『寺田寅彦研究文献目録 : 明治37年(1904)-昭和42年(1967)』、東北工業大学紀要第3巻(昭和42年7月)別刷り

4.書斎の本棚/図書館の書棚から

このコーナーでは、本文に登場した本、関連書籍をさらに紹介します。

4-1 ロゲルギスト『精選 物理の散歩道』

ロゲルギストは、ロゴス(ことわり、ことば)とエルゴン(仕事、エネルギー)の合成語、ロゲルギークの派生語です。ロゲルギークは、情報理論寄りのノーバート・ウィーナーのサイバネティクスに、物理学寄りのエネルギー概念を導入した新しい理論体系を意味するものとして考案され、ロゲルギークの構築を目指す研究者集団をロゲルギストと称するとのこと。1950年頃に起源をもつ物理学者の集まりで、「ロゲルギスト」という集団筆名で中央公論社の雑誌『自然』(1946.5-1985.5)に随筆を連載し、その記事は、最初は岩波書店から「物理の散歩道」シリーズとして、後に、その続編が中央公論社から「新物理の散歩道」シリーズとして単行本化されました。構成メンバーは

  • 近角総信 (C ちかずみ そうしん; 1922-2016)
  • 磯部孝 (I いそべ たかし;1914-2001)
  • 近藤正夫 (K こんどう まさお;1911-2006)
  • 木下是雄 (K2 きのした これお; 1914-2014)
  • 高橋秀俊 (T たかはし ひでとし; 1915−1985)
  • 大川章哉 (O おおかわ あきや;1918-1987)
  • 今井功 (I2 いまい いさお;1914-2004)

の七名です。寺田物理学の流れを継承していて、日常の物理学/科学です。それぞれが異なる専門的知見をもって語ることから、華やかな印象があります。高橋秀俊はパラメトロンの開発者で、当サイトの常連です。

当サイトの関連記事: 高橋秀俊

≫ 【書評記事】第1話 渡辺慧『生命と自由』を読み解く:1-3 「パラメトロンの高橋秀俊」へ
≫ 【書評記事】第7話 北川敏男編『サイバネティックス』を読み解く:2.二人目の登壇者:高橋秀俊

本書、

ロゲルギスト『精選 物理の散歩道』、岩波文庫(2023)、pp.352

は岩波書店の『物理の散歩道』(全5巻)から16編を精選して一冊にまとめたもので、各メンバーの特色がよくでています。

ロゲルギスト『精選 物理の散歩道』目次

はじめに——ロゲルギスト精神(近角聡信)/ロゲルギストのメンバー

編者解説(松浦 壮)/単行本版所収巻/雑誌掲載号一覧

4-2 池内了『寺田寅彦と現代』

池内了『寺田寅彦と現代 : 等身大の科学をもとめて』、みすず書房(2005)、pp.258

池内了(1944-)は科学啓蒙書以外にも、寺田寅彦に関する書籍を数冊著しています。本書は2020年、『ふだん着の寺田寅彦』の15年前に出版された池内了、渾身の一冊です。寺田寅彦を神棚に祀るだけの書物を世に出すことを潔しとしないという池内が、まさに苦しみながら本書を生み出す過程が「あとがき」に残されています。『ふだん着の寺田寅彦』と違い、安全保障政策に関する個人的見解を背景に、リキミ過ぎな箇所も散見されますが、「第2章 寺田寅彦が提唱した新しい科学」などは必見です。

『寺田寅彦と現代』目次

『ふだん着の寺田寅彦』については、当サイトに関連記事があります。

当サイトの関連記事:池内了『ふだん着の寺田寅彦』

≫ 【全集探訪】No.1 「寺田寅彦全集 文學編」: 3-1 池内了『ふだん着の寺田寅彦』

おすすめの記事